雪道行道

投稿日:2013/01/17
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このあいだは各地で雪に見舞われ、
そういう時は必ずと言っていいほど雪で転ぶ人をニュースは映し出します。
「大変でした」というのを分かってもらう為のものかもしれませんが、
転んでしまった人にしてみれば全国の人に転ぶ姿を見られると言う事になります。
例えば、出勤中などに慣れない凍った雪道をソロリソロリと歩いていると、
前方にカメラを構える人を発見する訳です。
私ならこの時点で「なるべくカメラから離れる」という行動を取りますが、
ソロリソロリと歩いている為なかなかベストポジションにたどりつけません。
「どうしよう」と思っている内にカメラが近くなります。
ここで私は考え直します。
「何事もないように振る舞う」を新たな行動目的と定め、
カメラの前で決して転んだりしないよう、しくじったりしないよう、
細心の注意を払い、歩んでいきます。
しかし、そういった時に限って足元が異常に滑ったりするわけです。
「しまった!」と思った時には遅く、私の景気良い転びっぷりが全国のテレビに発信されるのです。
そして次に「どうか自分であるとバレませんように」と星に祈るわけです。
誰も見ちゃいないだろう。
きっと自分とは分からないだろう。
しかし、そういう時に限って職場の人や友達などがしっかりと見てしまっているのです。
「あれ?あの転んだヤツ、○○じゃない?」
そうなると普段はそんなにすばやく発動しない連絡網が、
この時ばかりはものすごい速さで色んな人に知れわたり、
「おい!テレビの○チャンつけろ!○○が写ってる!」と的確な指示が飛び、
その日の内にまたは、翌日言われる訳です。
「お前、昨日のニュースで転んでただろ?」
もうその時点で私は「転んだ人」となってしまうのです。
例えばそれが友達同士の「すべらない話」的な感じで自分のネタになれば、
どれだけ転んでも良いのですが、基本的に3日後くらいには面白さもなくなっている濃度のものです。
ただ転んだだけなのに、それ以上に何か失くした感が否めません。
どうか、転んでしまった人のこの先に良いことがあるようにと思わずにはいられません。


カテゴリ:企画会議