北島引退

投稿日:2013/12/08
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北島三郎が今年で紅白引退を発表しました。
『ゲルピンちん太ぽん太』の『ぽん太』としてステージデビューをしたのが、
1961年らしいですので、ざっと50年近く活動している訳です。
調べてみるとデビュー曲は「ブンガチャ節」ですが、
この曲は発売から一週間で放送禁止になったみたいで、
北島曰く「テレビに3回出たら、放送禁止になっちゃった」だそうです。
1963年に長男が誕生。これを週刊誌にスクープされたことで、
妻子の存在を公表したとありました。
1980年以降は『原譲二』のペンネームで、
自ら作詞や作曲、演出を手がける事が多くなったらしいのですが、
名前の由来は「腹が丈夫であったから」だそうです。
1985年には、飛行機に特設ステージを設けて、機内コンサートを開催。
本格コンサートでは世界初の快挙らしいのですが、
そりゃそうです。
1986年は暴力団の新年会出席により、紅白出場を辞退し、
連続出場回数は23回でストップ。
1998年には「おじゃる丸」の主題歌「詠人(うたびと)」で、新ジャンルへも挑戦。
2006年に、満70歳を迎えたことを祝うパーティーの席上で、
ファミリーの「長男」の山本譲二を「暖簾分け」の形で独立させました。
2009年にはデジタル放送推進協会の「日本全国地デジで元気!」キャンペーンソングとして
「地デジで元気!音頭」を作曲し、自ら歌う。
そして、今年2013年に
年々減少する紅白の「演歌枠」など演歌界の危機的な状況を受け、
自ら引くことで世代交代をすすめる意向で、
歴代最多の13回目の大トリに内定してるんだそうです。
大晦日のサブちゃんから目が離せません。
と言っても「笑ってはいけない」を見るんですが。


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