蒲鉾立場
投稿日:2014/01/02時期的なもの、というのはここ最近そこまで多くを占めることはありません。
冬至にカボチャを必ず食べるかと言えば、
そうじゃない人も多いでしょう。
去年のお正月、最初に口にしたのは吉野家の牛丼でした。
家に何もなかった、という理由だけでしたが、
正月らしいスタートは全く切っていませんでした。
この年末に行ったスーパーでは、おばあさん二人が乾物コーナーの前で言っていました。
『何もせんでええってゆうけど、そんな訳にはいかんもんなぁ』と。
冬至にカボチャは食べねども、正月くらいは何とかせんならんということでしょう。
私も牛丼なんか食ってた場合ではありませんでした。やはり正月くらいは、らしいスタートを切るべきなんです。
おせち料理は色々な意味が込められています。
小さい時はその全てを食べろと言われたものでした。
私はいつも年末辺りから催されるスーパーの、
正月に向けての準備商戦で、
蒲鉾の立ち位置だけが腹立たしくて仕方ありません。
小さい時、おせち料理で必ず食べろと言われていたメンバーに、
蒲鉾は登場することはありません。
蒲鉾がおせち料理の一体何を担っているのでしょう。
そもそも、蒲鉾は普段の生活において
さほど大きな活躍を見せていません。
それでいて年末になると、
やや豪華に、そして必需品的に売り込んできます。
普段は100円程度で購入できるのに、
298円とか強気の営業をかけてきます。
それでいて蒲鉾のおせちにおける意味合いは、
『紅白でめでたい』だけでした。
無いとイマイチでしょ?、と
色目の問題だけで、ここまで来れていること。
また重箱を埋めるのに一番手っ取り早いこと。
奇しくも言葉通りの隙間産業で成功している蒲鉾を、
実は私なんかは真っ先に食べねばならないものなのかも知れません。
このよみものなんかも、
普段は全く役に立たないけれど、
隙間産業的にとある時期だけ何か価値が見いだせたらと、
蒲鉾に願いを込めた所で
無駄なんだろうな、と思う正月です。