松風運勢

投稿日:2013/12/21
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松風庵主という人が占ってました。
おそらく「松風庵」の「主」なんでしょう。

ね年
喜びを共にすることが友情。友人関係に吉事多し

うし年
まず実行して後に語るべし。かくして衆人より敬われる

とら年
線香の香りむさ苦しい。仏事法事を忘れてはいないか反省せよ

う年
花は五分咲き、酒はほろ酔い。何事も度を越さぬように

たつ年
喜びや怒りに臨んで修養の程度を知る。平常心ありて吉

み年
平時に重要な事業の発案あり。無事を大切に

うま年
昔と今を比べれば今は全く高級生活である。感謝しなければ低級となる

ひつじ年
活火山なのか死火山なのか休火山なのか。我が身を省みる日

さる年
何でもない日常生活が一番ありがたい

とり年
裁かれた罪は罪より脱するが、免れし罪は他日に大きな報いとなる

いぬ年
粉雪が降り、庭園銀世界の象で、思わぬ吉事到来す

い年
一字を書きて墨色は実に美しく澄んだ象で諸縁吉祥の日なり

12月20日はコレだったんだそうです。
取り急ぎ
GOODチーム
「ね」「たつ」「いぬ」「い」
BADチーム
「とり」
よく解らんチーム
「うし」「う」「み」「うま」「ひつじ」「さる」
怒られチーム
「とら」
だった事を報告しておきます。
特に「う」は、酔っ払ってるとしか思えませんでした。


カテゴリ:出会い

自販売機

投稿日:2013/12/20
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思いの外、自動販売機って利用することがありません。
子供の頃、自動販売機が非常に魅力的なものであったのは、
家の冷蔵庫にはない、様々なジュースが詰まっているからでした。
大人になると、自動販売機を利用する場合は、
「ジュースが飲みたい」という気持ちよりも、
「喉が渇いて仕方ないので潤したい」という気持ちのが大きいです。
そして今の子供はそこまで自動販売機に魅力を感じていないように思います。
世界には色んな自動販売機があるそうで、
ピザが買えたり、コロッケが買えたり、
BBQ用のソーセージが買えたりするそうです。
そもそも自動販売機の意味は、
『いつでも、どこでも』な所にあると思います。
今、その役割の多くをコンビニが担っています。
かといってコンビニは至る所にあるわけではありません。
そうなると非常に辺鄙な所にこそ、
自動販売機は威力を発揮するように思います。
ですので、飲み物だけに留まらず、
世界の自動販売機のように色んな可能性を持って欲しいです。
では、どんな自動販売機があればいいでしょうか。
カップラーメンやうどんなどは、
ドライブインなどでたまに見かけることがあります。
そもそも自動販売機として
存在するものでは自動販売機は躍進できません。
「自販機ならでは」というものがいいのではないか。
そこで私は考えました。
餅の自動販売機はどうでしょうか。
上記に挙げられているピザ、コロッケ、ソーセージは、
ピザ(イタリア)、コロッケ(オランダ)、ソーセージ(ドイツ)となっており、
それそれ言わば、その土地の代表料理のようなものです。
そしたら日本は餅を掲げずにはいられないでしょう。
餅はコンビニに「食べられる形」としては売っていません。
そこを自販機が担うわけです。
小腹が空いた時、部活帰りに、甘いジュースを飲んで塩気を欲した時。
様々なシーンで活躍できそうな気がします。
例えばとても田舎に遊びに行ったはいいけど、
ご飯を食べれるところがまったく見つからない。
そんな時に餅の自販機があれば、空腹を和らげることができます。
どのような形態になるかは自動販売機職人にまかせるとして、
できれば私は磯辺焼きであればいいなと思います。


カテゴリ:グルメ

電飾施設

投稿日:2013/12/19
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イルミネーションを見るとき、
どのような佇まいが正解なんでしょうか。
冬になると一般家庭から施設まで、
色んなところでイルミネーションをしています。
ここら辺で一番有名なのは「なばなの里」だと思われます。
ニュースでも今年のなばなの里は!的な感じで、
紹介をされていますが、
それと共にテレビに映るお客さんの姿に、
毎年ながら何かしらの疑問を抱いてしまいます。
イルミネーションを囲むように人がゾロゾロと移動していきます。
イルミネーションは基本、一つ一つが大掛かりです。
ですので一個のイルミネーションを見るのに、
だいたい30歩くらいの歩みを進める訳ですが、
何かを見ながらの歩みは思う以上に遅く、
一度見て『わぁスゴイ!』と思ったイルミネーションを、
思った瞬間からだいたい10分くらいは見ていなければなりません。
その間の佇まいは一体何が正解なのでしょう。
ゾロゾロ歩く彼らはどのような事をしているのでしょう。
自分に置き換えると、
見た時に一気に上がるテンションはすぐに急降下し、
後半には『飽きました』となるでしょう。
だからと言って全く違う関係のない話をしたら、
それはそれでせっかく出向いた意味がないように思います。
かといって、イルミネーションの感想を
10分も語れる感受性は持ち合わせていません。
終始無言では楽しんでなさそうに見えます。
ずいぶん昔に会社の社員旅行で神戸に行きました。
神戸にはルミナリエがあり、
何やらとてもキレイであると聞いてはいましたが、
それを会社の人と見るなんて罰ゲームにも程があるので、
鑑賞を辞退したのですが、
あの時、彼らは一体何を語り合っていたのでしょうか。
謎は深まるばかりですが、
それが分かる頃にはロマンチックの意味もおのずと分かってくるのでしょう。
私にはこの先、必要のないカテゴリーではありますが。


カテゴリ:出会い

子供銀行

投稿日:2013/12/18
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一万円札の福沢諭吉はいつぐらいから在籍しているのでしょうか。
うっすら子供の頃、聖徳太子がいたような気がしています。
千円や五千円は変更になりましたが、
次に変わるとして、一万円札は誰になるのか。
アンケートで一万円札の肖像画は誰が良いかと言うのをやっていました。
一位は坂本龍馬で、二位が徳川家康という結果が載っていました。
他の少数意見として、卑弥呼やタモリ、ドラえもんなどというのも載っていました。
タモリなんかは、やはりサングラスなんでしょうか。
ドラえもんが一万円札なら、樋口一葉としてはどう思うでしょうか。
かえって、ドラえもんとかキャラクターの方がいいのかもしれません。
慣れ親しんだ夏目漱石から野口英世に変わった時、
何だか違和感を感じて使いにくかった覚えがあります。
たぶん野口英世が夏目漱石に比べて、
若干険しい顔をしているように見えたからでしょう。
何となく「おい、使うのか?俺を!?」と言われているような気がします。
五千円札については、普段あまり接する機会がありませんし、
一万円札なんて私の財布に入ることはありません。
ですが、仮に一万円札がドラえもんになったとしましょう。
何かしらウソっぽさが出てきます。
本物ですし、野口英世の10倍の威力を発揮すると分かっていても、
「ドラえもんだし」という思いは誰もが持つように思います。
するとどうでしょう。
福沢諭吉より使いやすいという風に思わないでしょうか。
同じ一万円札だったとしても、
威厳とか性質とか、やはりドラえもんは福沢より軽いように思います。
むしろ、野口英世の後ろくらいに位置してしまうかもしれません。
すると人はかえってポイポイ使ってしまうのではないでしょうか。
ドラえもんで景気回復。
なかなか素晴らしい考えでありますが、
もし普段滅多に入らない一万円札が私の財布に入っていたとして、
サッと引き出した時にドラえもんがこちらを見て笑っていたら、
何となく「ああ、俺の財布だからな、所詮ドラえもんだよ」
と思わずにいられません。
やはり無難に歴史上の誰かがいいのかもしれませんね。
最後に、ドラえもんは何一つ悪くありません。


カテゴリ:企画会議

公開収録(148)

投稿日:2013/12/17
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『第百四十七回O&A始まります』
人間の本来の性(サガ)は如何なる物であるのか?アナタの心の隙間を、埋めて建てて掘り起こす「O&A」のお時間です。
参加希望の方はお気軽にご応募下さい。面白ければ採用させていただきます。ボツになっても恨みっこ無し。
それでは
『第百四十七O!』
「同窓会での注意事項」

『&A』

・「誰にも話しかけられなかった時の自分を準備しておく」PN和風エビフライ
   →壁に向かって微笑む練習は、マクドのカウンターがオススメです
・「元カレ(元カノ)とどうにかならないか期待し過ぎない」PN椎名
   →元カノより、新たなターゲットの方が魅力を感じる年頃です
・「全員に干支を聞く」PNウナギ・アレルギー
   →たいてい二種類です
・「斉藤和義の歌みたいなことには決してならない」PN松岡芭蕉
   →ベースは二丁拳銃のボケです
・「店員に勧められたコーディネートが着こなせぬまま」PN裸足の大将
   →全く同じファッションの奴が、後二人いました
・「改宗を迫らない」PNブラボー町山
   →数珠とロザリオが、バチバチと鳴り響きます
・「JK気取り」PN左脳ヨイヨイ
   →図々しいにもほどがあります、子供三人います
・「「ごめん、覚えてない」のセリフで武装しない」PN(^◇^)
   →想い出はいつも綺麗だけど、それだけじゃお腹が空くのです
・「若作りが痛ましい」PNマカロニサラダ記念日
   →涙ぐましい努力は、時として涙を誘います
・「タッパを持参しない」PNチャボ・ゲレロ
   →二次会は一人で、いつもの部屋でした
・「「オバハンばっかり」と嘆くお前はオジヤン」PNオランダ人スペイン村に立つ
   →30歳が境目で、40歳が見極めなんだそうです
・「病気の話題オンリー」PNアニマル柄で電磁波予防
   →病院の待合室と、中身は変わりませんでした
・「当時の担任が自分を覚えているとは限らない」PN平日は眼鏡
   →担任も毎年毎年、教え子を抱えているのです
・「思い出し喧嘩」PNチョコレートソース
   →腹の立つ奴は、やっぱり腹が立つ成長を遂げてます
・「お母さんと一緒に来ない」PN橋六はんぺん
   →そういえば彼は、いつもお母さんと一緒でした
・「関係無い奴を紛れ込ませない」PN野村元監督略して元ノムさん
   →寂しいからと言って、職場の上司はどうかと思います
・「自分のクラスが誰も出席していない」PNビーチボーズ
   →終始ユーレイ部員風に、ユーレイ同窓生を気取りました
・「ひたすら食べてるだけ」PN遊牧民はパラボラアンテナ
   →最後の甘い物は、別腹なんだそうです
・「署名を集めてる」PNしゃくれっ面(Let's)
   →反対派か賛成派かは不明ですが、とにかく沢山集めれました
・「当時、すごく仲良かったと思っていたのが幻想だったと思い知る」PN榊原育英
   →アナタの中で幸せ100の出来事が、相手には0.01の場合もあります
・「遺影の方が多い」PN宇宙恐竜ゼットン
   →「持ち運びが良い運動になる」は、強がりですね?
_____________
沢山のご応募本当にありがとうございました。
今回の大賞はマカロニサラダ記念日でした。
今回は同窓会のスペシャリスト的な解答が多数寄せられました。趣味『同窓会』としたらどうでしょう。これからもO&Aのセンスを磨く為に精進を続けましょう。後Oの候補も受け付けています。
次回の第百四十八回大会のOは
『偽サンタの後ろめたい事件簿』(by榊原育英)
となります。
12月22日までに名前かペンネームを記載の上、件名タイトルにO&Aと書いて
info@firstbase.jp
まで送って下さい。
よろしプかれが目にダメージを!


カテゴリ:O&A

胃衰退期

投稿日:2013/12/16
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冬の食べ物と言えば、やはり鍋を思い浮かべます。
じゃあ、何鍋にする?という問いに対して、
一番最初に思い浮かぶのが「湯豆腐」です。
去年あたりまでは、悩んで「キムチ鍋」とか「もつ鍋」とか、
そういったものを思い浮かべていたのですが、
40才を境に一気に「湯豆腐」が浮上してくるのです。
これを老いと呼ばす、何と呼ぶでしょう。
特に脂質に対しての欲は、右肩下がりもいいとこです。
ざるそばを食べる時も、前は「天ぷらとか欲しいな」と、
密かに思っていましたが、今では「天ぷらはむしろ要らない」
という所までやってきました。
帰れま10を暇で見ていて、そこが居酒屋だった場合、
必ずと言っていいほど「唐揚」や「ポテトフライ」が出てきます。
39才までは「そうだよな、やっぱポテトフライは頼むよな」と思っていましたが、
40才になった途端「サラダでもシーザーサラダとかは無理だよな、
唐揚?ポテトフライ?いやいや、全然惹かれない」
と言ってしまうまでになりました。
たった1才の差で私の胃はどうしたというのでしょうか。
私の愛読書、東海林さだおの丸かじりシリーズでは、
ビールには串カツやエビフライだ!と言っていて、
39才までは「そうだそうだ!脂っこさをビールで流す。分かる分かる」
という感じでしたが、40才の今読むと、
「いやー、ビールに串カツもいいけど、できれば枝豆とかじゃこおろしとか・・・」
というショージ君からすれば非常に淋しい感想を述べねばならなくなりました。
このまま行くと、私の50代・60代・70代はどのような食生活なんでしょうか。
まさかの草食系男子に胃の方からモデルチェンジしていくとは思いもよりませんでした。
いつの日かカーディガンが似合う私がいるのかもしれません。


カテゴリ:グルメ

年末贈物

投稿日:2013/12/15
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クリスマスソングが頻繁に流れています。
スーパーに行くとすでにお正月商品の販売を始めています。
何やらせわしない感じですが、
12月は私の甥・姪の誕生日でもあります。
基本的に「何だこの大人?!」と思われる機会が多い私ですが、
誕生日はきちんと祝うぞ、というキチンと感を甥・姪に出して、
ただふざけているだけではない、という事を
分かってもらえればいいなと思っています。
そんな彼らのプレゼント選びですが、
子供には子供の欲しいものがあります。
昨年はリクエストに応えてレゴをプレゼントしました。
しかし、レゴは1セットだけでしたので、
しばらく経ってから奪い合いの元になったのか、
ある時、仕事の途中で実家に寄ると、
軒先にレゴが干してありました。
かつて私が遊んでいたレゴであります。
母親曰く「ケンカになるもんで、探して洗って干してある」との事でした。
そういえば、私が子供の頃の誕生日プレゼントはどんなだったのか。
リクエストした中で覚えているのは、「ナタ」でした。
何が欲しいのか聞かれ、その時ナタに魅力を感じていた私は
即答で「ナタが欲しい」と言いました。
親からすれば、ナタを催促されるとは思っておらず、
そもそもナタをどうするつもりなのか我が子ながら不審に思ったに違いありません。
何に使うのか尋ねられると、
「山に入る時に枝切ったり、そういうのかっこええ」と、
訳の分からん理由を述べていたように思います。
ナタはプレゼントされましたが、年月を経て「私のナタ」ではなく、
「我が家のナタ」となりましたが、
この頃から「何だこの子供?!」という体だったんだな、と改めて思いました。
今年の彼らからのリクエストが楽しみです。


カテゴリ:出会い

人前手話

投稿日:2013/12/14
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人前に出ることに、何の抵抗もありません。
むしろ出ていこうとするくらいです。
ただ、一応出ていくからにはそれなりの形を作らねばならん、
という気持ちはあります。
話は変わりますが、何かのフリをすることは
誰しも多少は経験があると思います。
私の場合ですと、
家賃を払わない客の所へ取り立てに行く友人に頼まれ、
チンピラのフリをしたことがあります。
ただ柄の付いたシャツを着て、
眉間にシワを寄せてガムを噛みながら、右のコブシを左の手の平に打ち付けつつ、
友人のそばにいただけでした。
ダブルのスーツを着れば、そっち方面の人に見える私ですので、
一応土台は人より出来あがっています。
果たしてそれが本物に写ったかどうかは別にして、
人が何かのフリをするときは、
少なからずとも小さな規模で行うはずです。
私で言えば、家賃を払わない客にだけチンピラと思ってもらえればいいだけですし、
もっと言えば他の人にはチンピラと思われたくはないので、
とても小さな規模となります。
そんな中、衝撃のニュースが飛び込んできました。
マンデラ元大統領の追悼式典の時、
スピーチをする人の傍らにて手話で通訳していた、
その手話がデタラメだったというものです。
真相は分かりません。
必死に手話をしたけど、
追い付けなかったのかもしれません。
またはスピーチをする人の言葉が
分からなかったのかもしれません。
しかし、もしそれが『手話をする人のフリ』だったら。
私には決してできないことだと、
ニュース映像を見ながら深く思いました。
今週のMVPは間違いなく彼です。
できうるならば、謝罪会見も手話でお願いしたいものです。


カテゴリ:出会い

今年之字

投稿日:2013/12/13
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今年の漢字は「輪」なんだそうです。
東京オリンピック開催が決まったからだそうですが、
じゃあ開催された年の方がいいじゃん、と言いたくもなります。
きっと最終候補の中には「倍」「J」もあったと思いますが、
よりによって「輪」はどうなんでしょう。
振り返ると「輪」という漢字には、何の思い入れもありません。
昔から友達の輪に入っていくのが苦手で、
輪に入るくらいなら、ムーブメントを起こしたいと願う子供でした。
例えその評価が「独りよがり」であってもです。
「輪投げ」にも興味はありませんし、
「輪ゴム」も邪魔臭い存在です。
あまりに「輪」との接点が無さ過ぎて、具体例すらままならないのです。
そもそも「五輪」に興味がありませんから困ります。
こんな解釈はどうでしょう。
森田一義アワーが今度の3月で終了するんだそうです。
「笑ってる場合ですよ」のツービートが好きだった小学生の私にとって、
「いいとも」は憎い存在でした。
その中心人物はご存知「タモリ」で、
瞬く間にお昼の顔に昇格したのです。
それ以前のイグアナや四ヶ国麻雀をやってた頃のイメージとは、全然違いました。
名物コーナーのテレフォンショッキングだったかでは、
今はやってませんが、
『友達の友達はみな友達だ。世界に広げよう友達の輪。輪』が流行りました。
そうです。
その「輪」だと思うのです。
今年の漢字は森田一義アワーへのレクイエムの意を込めて「輪」になったと解釈するのです。
これなら、かろうじて納得できる人も多いと思われます。
「今年の漢字」なのか「今年度の漢字」なのかは、
別の問題ですが。


カテゴリ:企画会議

中身之人

投稿日:2013/12/12
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中の人、という言われ方をするのが、
全国各地に散らばる「ゆるキャラ」の骨格となる人です。
最近では、ふなっしーの中の人が誰であるという情報さえ流れています。
中の人にしてみれば、これほどプライベートな情報を
垂れ流される事はないでしょう。
夢の国の影響からか、暗黙の了解で中の人に関しては、
外部は知らない顔をするというのがあります。
ですが、フレンドリーに手を振りながらそばにくる着ぐるみの皆さんは、
少し触れるとそこにはぬぐいようのない「人間味」を感じてしまいます。
この何とも不思議な感覚が私にはとても面白く感じてしまいます。
そのひとつに、着ぐるみをかぶればきっと誰でもキャラになり、
いつの間にか同化していくという部分です。
例えば、クリスマスシーズン。
サンタクロースの格好をしてキャバクラのティッシュを配っていたとします。
もちろん、着ぐるみのように全てを隠しているわけではありません。
顔の一部分は出ているわけです。
最初は面倒くさそうに配ります。
しかし、小さな子供が「サンタさんだ!」と近寄ってくるとします。
もちろん、配っているのはキャバクラのティッシュなので渡すわけにはいきませんが、
「よぅしよぅし、サンタさんだよぉ」
といった雰囲気で子供の頭をポンポンと触り、
またね、と言う感じで手を振ってからのティッシュ配りは、
きっとプレゼントを配るサンタになっているように思います。
ひとたびスイッチが入ると、いつの間にか自分で自分をプロデュースしてしまう所が、
着ぐるみの大きな魔力であり、面白いところだと思います。
そのポイントのひとつに「子供」というのがあります。
彼らが大人をぐっと異次元の世界に連れ出して行くのでしょう。
もしこの世界に子供がおらず、夢の国が建設されていたとしても、
きっと互いによそよそしい空気を出して接し合う事になるのでしょう。
並んで撮る写真にも何かしらの違和感を感じてなりません。
ゆるキャラの皆さんは、子供を一番大切にせねばなりませんね。
そんな私は着ぐるみやゆるキャラに遭遇した際に、
全くノーリアクションを取る、というのを夢見ています。


カテゴリ:企画会議